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議員団紹介 長谷川薫 議員

前橋市の新清掃工場建設計画に群馬県が慎重な検討を要望!(赤城根・2010年4月27日号)【2010/4/28】

「予定地は地震に弱い地質」「事故発生時の河川の水質汚染」などへの十分な対策を・・・・

 前橋市が四年後の二〇二〇一四年完成をめざして建設しようとしている下増田町の新清掃工場の建設計画について、群馬県の大沢知事が四月八日に高木市長に十六項目にわたる要望事項を示しました。その内容の中心点をお知らせします。

計画地は軟弱地盤

 県は、「新清掃工場の建設予定地は、軟弱な広瀬川砂礫(されき)層の上にある。また地震が多発する活断層(柏崎・銚子構造線と関東平野北西縁断層帯)に挟まれている。古文書には、弘仁地震(818年)の災害記録もあり、将来発生が懸念される大地震で清掃工場が大きな被害が発生することもあり得る。清掃工場が破壊されれば汚染物質が流出し重大な周辺環境被害が発生する恐れがある」と指摘し清掃工場の耐震性の強化を特に求めています。
 長谷川薫議員は「予定地は広瀬川と荒砥川の間の河川敷だけに、当初から地盤が弱いことは分かっていたはずです。今後工場建設には耐震性の強化のために予想以上の工事経費がかかることも心配されます」と感想を述べています。

清掃パッカー車が1日に400台も集中・排気ガスによる健康被害も懸念 
 
 さらに県は、「1カ所に統合するために、廃棄物の運搬車が400台も毎日通行する。沿道の住宅地への騒音・振動・悪臭・粉塵・排気ガスによる環境悪化が懸念される」と指摘し、「被害軽減対策が必要」と強調しています。
 長谷川議員は「これまでの3カ所への分散から、1カ所集中になれば車両の集中は絶対に避けられません。交通事故については道路の改修や信号機の設置などの対策によって減らせるかもしれません。しかし車両の排気ガスは避けられません。健康被害も心配されます。市当局は工場統合によってこれまでの維持管理費が減らせるとメリットを強調しますが、工場周辺住民の健康被害発生の懸念については慎重な検討がありません」と話しています。

伊勢崎市民への排気ガスの影響は

 また、工場予定地は前橋市にとっては郊外の農村地域ですが、伊勢崎市にとっては宮子町や三郷地区の市街地に隣接しています。
このことを踏まえて県は、「本県は光化学オキシダント注意報が多く発令されており、窒素酸化物などの大気汚染物質が工場からできる限り放出されないよう、排ガス処理設備などを十分検討すること。また伊勢崎市側への影響を十分配慮し調査すること」が強調されています。
 長谷川議員は「今、伊勢崎市民や同市議会議員からは『建設予定地の再検討を求める要望書』が高木市長に提出されています。そもそも予定地を決定する際に、伊勢崎市の市民と相談もしなかったこと自体が大問題です」と話しています。

荒牧小学校に『あらまき第二児童クラブ』開設

 荒牧小学校の児童は、小学校敷地内に定員 名の『荒牧児童クラブ』を利用してきましたが、入所希望者が急増しており、やむなく近隣学校区の児童クラブに入所したり、民間の学習塾が運営する放課後預かり施設に入所している児童も増えていました。
施設増設の父母の強い要望がありましたが、荒牧小学校には余裕教室もなく、学校敷地内にも余裕がないために、群馬大学教育学部の前にある北部第3土地区画整理事業区域内の保留地(関根町479番地の2)を市が取得し、定員60名のクラブハウスを新築して、四月一日から開設しました。四年生まで入所できます。(土地取得費五千万円・建物建設費二千二百万円)
 長谷川議員は「共働き家庭の児童が放課後を安心して過ごせるよう学童保育の充実には一貫して力を注いできました。これまでにも荒牧小学校の父母の強い願いに答えて、市長に陳情し校内の児童クラブを2倍に増設して入所可能児童を増やしてきました。関根町になりましたが、本当に好かったと思います」と述べています。

日本共産党についての質問

【問い】
 戦前、戦後の日本共産党の活動で今にひきつがれている伝統はどんなことですか?(一読者)

【答え】
  
 日本共産党は、1922年7月(大正11年)、国民が切実に願った民主主義と自由、国民生活向上、民族自決権擁護、日本と世界の平和の実現をめざして創立されました。党の創立当初から天皇制の廃止や十八歳以上の男女の普通選挙権、出版・集会の自由・労働者の団結やストライキの自由・8時間労働制の実現・小作農地の耕作農民への引き渡し・朝鮮や中国・台湾・樺太からの軍隊の完全撤退の要求を掲げました。天皇が絶対君主として君臨していた暗黒の時代に、このような方針を掲げていた政党は他にありません。
その後、2,000万人以上のアジアの人々の命を奪い310万人もの日本人が犠牲になった中国侵略から太平洋戦争に至る十五年にわたる侵略戦争の時代にも、日本共産党は「非国民」・「国賊」とレッテルを貼られ、特高警察によって多くの党員や支持者が投獄され命を奪われるなどの過酷な弾圧にさらされましたが、国民主権と反戦平和のための戦いを命がけで貫きました。
いま、日本共産党が国民のくらしを守る先頭に立ち、日米安保条約の廃棄の旗を掲げ続け、世界一危険な沖縄の米軍普天間基地の無条件撤去を求めているのも、この反戦平和のたたかいの伝統を受け継いだものです。
 国際政治の分野でも、他国を思いのまま支配しようとしたアメリカやソ連や中国の誤りを厳しく批判するとともに、中・ソ両政権党による日本共産党に対する干渉も断固として拒否し、自主独立を貫いてきました。
アメリカのベトナム侵略戦争やイラク戦争や今も続くアフガン戦争にも一貫して反対してきました。
 くらしと平和を守り抜くこれらの活動は、今に生きる日本共産党の伝統です。


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