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議員団紹介 小林久子 議員

福島の苦しみ・悲しみを忘れない!(ひさ子通信4月17日)【2013/4/25】

たくさんの支援物資をいわきの仮設住宅へ

「原発をなくす前橋連絡会」は、4月13日、福島県の仮設住宅避難者へ物資の支援と、原発から20キロ圏内の樽葉町、富岡町などを視察してきました。79人、バス2台と多くの人が参加しました。小林久子議員も参加しました。

 ワンコインのカンパと、米、野菜などの物資を募り、いわき市四倉の仮設住宅2か所に届けました。カンパは40万円を超え、支援物資は米900キロ、卵、たまねぎ、ごぼう、ねぎ、菜花などが提供され、約300世帯分つくり、届けました。
 常磐自動車道を北上し、いわき市をすぎて広野インターより先は、放射線量が高く閉鎖されています。行きかう車のない高速を走り、広野インターで降りました。
 その広野町は福島第一原発から20〜30キロ圏内で、当初は緊急時避難準備区域に指定されていました。ところが国は、警戒区域と避難指示区域を20キロ圏内と汚染状況によって強制的に区分けしてしまいました。

原発震災から二年たっても戻れない  

広野町は原発事故前は約5100人いましたが、原発事故により町長は全町民に避難を呼びかけました。しかし、一転2011年9月、帰ってよいとされてしまいました。
 昨年4月から役場や小・中学校が開きましたが、戻った人は500人あまりで、若い人はいません。子どもたちもいわき市の仮設住宅から学校に通っています。

被災者に冷たい政治は許さない 
 

帰っていいと言われても、買物する店もなく、仕事もなく帰れない。帰らないのはあなたたちの勝手と、命綱の月10万円の保証も昨年9月に打ち切られました。被災者をさらに追い詰める、なんて冷たい政治でしょう。私たちは、こんな政治を絶対に許してはいけない。政府や東電に対して責任を問う福島の人たちのたたかいをしっかり支援していきましょう。
 物資を届けた四倉の仮設住宅(工業団地も)には、広野町、川内町、いわき市の方々約300世帯が入居しています。組を作って、物資を届けました。たずねた若い女性は、「もう広野には帰りたくない」と言っていました。おばあさんは1人暮らしで、群馬から来ましたと言ったら、「遠いところから来ていただいて、ありがたい」と大変喜んでくれました。
 この福島の被災者たちのことを忘れず、寄り添い、継続的な支援の必要性を痛感しました。
工業団地の周りに何もないところに仮設住宅が
工業団地の周りに何もないところに仮設住宅が

たくさんの支援物資を組に分かれて届けました
たくさんの支援物資を組に分かれて届けました

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